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2008年04月04日

新しい歌舞伎を求めて

これは実習に役に立ちそうです。
予習復習いたしましょう。


すでに逍遥は『小説神髄』『当世書生気質』の二作で我が国の近代文学創造に大きな業績をあげていたが、イギリスのシェークスピアの翻訳に従事する傍ら、我が国の近代劇の創造にも手を染めた。そのきっかけが『桐一葉』である。従来の荒唐無稽な歌舞伎脚本やうわべだけの近代化に終わった活歴物と違う、新しい歌舞伎劇を目指すべく、1893年(明治26年)論文『我が邦の史劇』を発表、その実践例としてこの作品を創作した。 逍遥は、1915(大正6)年に、活歴物への不満、シェークスピアの史劇の長所と歌舞伎の長所をうまく調和させたかったこと、深刻な悲劇を歌舞伎風のさまざまな挿話で作り上げたかったことなどが「桐一葉」創作の動機であると述べている。なお、逍遥は且元に九代目市川團十郎を、淀君には五代目尾上菊五郎をあてはめた書いたが、いずれも存命中には初演できなかった。

 始め大坂夏の陣直後の豊臣家の混乱をテーマとして弟子の長谷川沙石に原案を書かせたが逍遥自身満足せず、結局彼自らが沙石案をもとに完成した。発表当時は読本形式であったが、これでは実際の上演が困難であるとして、作者自身が歌舞伎風の脚本に改訂した。今日よく上演されるのは1915年(大正6年)4月帝国劇場上演時に「実演用」として書かれたものである。「古き革嚢に新しき酒を盛る。」との逍遥の言葉どおり、演出は旧来の歌舞伎狂言の形態であるが、内容はシェークスピアの影響の濃いスケールの大きな悲劇であり、新歌舞伎の嚆矢としてその文学的位置は大きい。

逍遥の言葉「・・・要するに、彼の貴族的な、英雄本位、淑女本位の高尚がりの活歴派に対しては、それとは反対の、平民的な、不作法な、凡人沢山、風情沢山の丸本式、草双紙式を発揚し、厳格な、窮屈な外国の審美論に対しては、無主義の、放埒な、いわば不即不離の国劇式を、暗に擁護しようという主張と抱負とが内心にあって、彼の作を書き始めたのである。」


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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